ザ・トーナメント(R-15)


(C)Mann Made Limited 2009

7年に1度開かれる、世界中の腕利きの殺し屋たちが世界一を決めるために殺し合うというとんでもないトーナメント。
今回の開催地はロンドンで、妻を殺された前回の優勝者ジョシュアも、その犯人が参加すると言う情報を聞きつけ、復讐のため、参加している。
殺し屋たちが鎬を削る中、街の酒場で殺し屋の体内にあるはずの発信機を飲まされたアル中の神父マカヴォイが巻き込まれてしまう…。

B級映画だが、殺し屋同士の殺し合いという題材だけに、アクション・シーンはつるべ打ち的に多く、意外に楽しめる。イギリス映画らしい皮肉な視点が見え隠れしているのが特徴で、壮絶な殺戮シーンにコール・ポーターのEVERY TIME WE SAY GOOD BYがかぶるのには、にやりとしてしまった。
この曲、”さよならを言うときいつも、私は少し死ぬ”という歌詞で始まるんだよね。マカヴォイ役は、ロバート・カーライル。情けなく登場し、ヒーローと化さないのがいい。

<CREDIT>

キャスト:ロバート・カーライル、ケリー・フー、イアン・サマーハルダー、ビング・レイムス
監督:スコット・マン
上映時間:95分
配給:インターフィルム

2012年2月18日公開
公式ホームページ http://www.thetournament-movie.com/

【ライター】渡辺稔之

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カテゴリー: ヨーロッパ | 映画レビュー

2012年2月29日 by p-movie.com

ローマ 昼下がりの恋


(C)2011 FILMAURO Srl

「イタリア式恋愛マニュアル」「モニカ・ベルッチの恋愛マニュアル」に続くイタリアの国民的(?)恋愛シリーズの第3作で、上映時間が2時間6分と少々長いが、3話オムニバスなので1話は平均40分程度。同じアパートの住人がたどる三様の恋が描かれるが、第一話が青年編、第2話が中年編、第3話が老年編という構成になっている。

第1話の青年編は、土地買収に赴いたトスカーナで、サラという婚約者があるにもかかわらず、ゴージャスな美女ニコルに一目ぼれしてしまう青年弁護士ロベルトが主人公。野心満々の青年が、美女との禁断の恋を通して、大人へと成長していく姿がコミカルな中にほろ苦さを込めて描かれた好編だ。トスカーナ地方ののんびりした能天気な雰囲気もいい。

第2話は「危険な情事」のコメディ版といった趣き。エキセントリックな女性エリアナと深い仲になったために、坂道を転がり落ちるようにどんどんとんでもない事態に陥っていく有名キャスター、ファビオの姿が、皮肉なタッチで描かれる。作り手の意地の悪い笑い顔が画面のそこに見え隠れするようなタッチなんだが、見ているこちらは、気楽に笑ってしまう。人の不幸は甘露の味か?

第3話は、なんとロバート・デ・ニーロが主演。心臓移植の手術をした元歴史教授エイドリアンと陰のある美女ビオラの恋を描いたものだが、これが飛び切り良い!今回のデ・ニーロは、珍しく少々気難しい”普通の男”を演じているが、人生の黄昏を迎えた老年期の男が、まるで少年のように恋にときめく姿が実にチャーミングなのだ!エイドリアンがビオラに向かって言う台詞「僕の新しい心臓は、君に恋することに決めた」や「人生が終わりに近づいても、不意に新しく始まることもある」という独白も、デ・ニーロの口から出るだけで、さらに味わいがましてくる。ビオラ役はモニカ・ベルッチ。イタリア国内仕様でなく、国際仕様を意識した顔合わせだが、演技力もあるスターの共演が、ロマンティックな物語にリアリティが出ている。
なほ、3話の橋渡し役として、3つの物語の合間に天使が登場。案内人的役割を果たしているのが、ほのぼのとした気分を盛り上げている。

<CREDIT>

キャスト:ロバート・デ・ニーロ、モニカ・ベルッチ、リッカルド・スカマルチョ、カルロ・ベルドーネ、ミケーレ・プラチド、ラウラ・キアッティ、ドナテッラ・フィノッキアーロ、バレリア・ソラリーノ、ビットリオ・エマヌエーレ
監督: ジョバンニ・ベロネージ
上映時間:126分
配給: アルシネテラン

2012年2月18日公開
公式ホームページ http://hirusagari-roma.com/

【ライター】渡辺稔之

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2012年2月29日 by p-movie.com

NINIFUNI

世界は僕に気づかない。

NINIFUNI

昨年、一本の中編映画がレイトショー公開された。それを目撃した人々の中には配給関係者もいて、この映画が放つどうしようもなく不可解な魅力に突き動かされるように正式配給を決めたという。

NINIFUNIと書いてニニフニと読む。それは何か?マントラか?それとも呪いの言葉か?どれも違った。それは仏教用語なのだと言う。「二つであって二つではない」という意味だそうだ。が、そんなことはどうでもいいのだ。恐らくこの42分足らずの中編を受けとめたその後に、我々の体内では言葉にならない奇妙な想いがゾワゾワと侵食をはじめる。それは人をして「毒」と言わしめるかもしれない。はたまた「感動」とか「衝撃」と呼ぶ人もいるだろう。だが、筆者は思うのだ。その十人十色のリアルな感触こそ、それぞれの「ニニフニ」ではなかったかと。

本作は絶望的なまでの自然光に満ちている。ふたりの男が歩みを進める。そこに一台の車が過ぎる。瞬発的に走り出すふたり。そして事務所の裏口で、彼らは運転手の男を襲う。ここまで書けばハードボイルドな映画かと思われるかもしれない。

だがカメラはいつしかひとりの男の放浪に密着し、先ほど犯行に及んだこの若者に眩い光が降り注ぐ様を延々と追い続ける。

彼が何をしようとしているのか。目的地はどこなのか。なにも分からない。

が、どことなく死の予感が満ちていることだけは自ずと伺える。一瞬、アッバス・キアロスタミの『桜桃の味』のワンシーンが頭をよぎった。死を待つ男のロードムービー。もしやこの若者も同じ末路を望もうとする儚い存在なのか―。

と、そこで我々は信じられないワンシーンを目の当たりにする。音楽用語で言えば「転調」と呼ぶのだろか。あるいはこれまで日本の土壌に照準を向けていたカメラが、一瞬のうちに地球の真反対のブラジルにまで到達したかのような時空の超越。それくらいの衝撃が全身を貫き、思考回路をショートさせ、そのヒリヒリした傷跡に海の潮風を惜しみなく塗りたくり、ギェー!と悲鳴を上げたくなるほどのクライマックスが静かに待ち構えていた。

それは我々が運命的に避けては通れない“ひとつの固定ショット”だった。まるで火と水、生と死、戦争と平和、天国と地獄、絶望と希望、貧困と富裕。かくもこの世に存在するあらゆる究極の相対する観念が荘厳なまでに同時降臨する光景だった。

映画なんて儚いものだ。この文章も、この映画のストーリーだっていつの日か容易く忘却されてしまうだろう。しかしこの鮮烈なワン・ショットだけは、きっと生涯、胸のどこかに引っかかり続けるはずだ。「2011年」というあまりに忘れがたい年の記憶と共に。

監督を務めるのは劇場デビュー作『イエロー・キッド』が「『タクシー・ドライバー』の再来」とまで絶賛された真利子哲也。絶望的なまでに美しい映像の中に痛々しいほどのリアルな空気を活写する撮影監督には『パビリオン山椒魚』や『キツツキと雨』で知られる月永雄太。主演は宮崎将、山中崇、そして、アイドルグループ“ももいろクローバー”がとてつもない役目を背負って出演しているのも注目だ。

NINIFUNI

NINIFUNI

<CREDIT>

公式ホームページ http://ninifuni.net/
ユーロスペースにて公開中、
2/25(土)より、シネ・リーブル梅田、シネマスコーレ、京都みなみ会館ほか全国順次ロードショー!
配給:ムヴィオラ 配給協力:日活

(C)ジャンゴフィルム、真利子哲也

【ライター】牛津厚信

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2012年2月20日 by p-movie.com

猿の惑星:創世記

これは人類への警鐘

猿の惑星:創世記

各メディアで「泣ける!」「大感動!」との文字があまりに踊っているので、拙レビューではこの二言を禁じてお届けしたい。が、それにしても本作について述べるとなれば、大方の文章はどれも似た書き出しとなるのだろう。

それは「誰もがこの最新作のヒットを予想だにしていなかった」ということだ。

告白しておくと、僕自身の中にも前々から予告や宣伝を見るたびに嘲笑にも似た感情が芽生えていた。また、BBCが伝えていたルパート・ワイアット監督への取材によると、今回の世界的な高評価に誰よりも彼自身が驚きを隠せないのだそうだ。いまだに戸惑いを引きずった彼は、ヒットの要因として「VFX技術をディテールに注いだこと」を挙げている。

それはつまり、ビッグバジェット映画にありがちな大規模カタルシス場面に技術を投入するのではなく、むしろ観客の体内に自然な形で入り込んでいくような場面にこそ手の込んだ作業を施しているということだ。

猿の惑星:創世記

たとえば我々は映画の中盤までくると、あのシーザーをはじめとする猿たちをひとつの個性、ひとつのキャラクターとして認識し、彼らの身体に流れる血潮や感情の起伏を一挙手一投足から読みとっている。これは『アバター』のモーションキャプチャー技術を応用して人間の俳優の顔面の動きまでをも猿の造型に投影したもの。かつてこれほど人間以外の外見をした生き物の感情に寄り添った映画体験があっただろうかと、映画が終わってから徐々に驚きが込み上げてくる。

また、今回の着眼点が我々の暮らしに、または現代社会の要素に深く通低していることも評価の要因だ。

そもそも旧『猿の惑星』シリーズは、アメリカが公民権運動やベトナム戦争に揺れていた時代、当時の観客の意識を“虐げる者”から“虐げられる者”へと転換するのに画期的な役割を果たし、結果的に啓蒙を含んだエンタテインメントとして時代と密接に結びついていった。では今回の新作ではどうなのか。再びこの現代において「権利擁護」を掲げようと言うのだろうか?

いや、そうではない。本作では事の発端となる「アルツハイマーの特効薬」を糸口に、“老いていく生命“と“育ちゆく生命”とのベクトルの交錯点を身を切るほどの切なさで描ききっているのだ。

あの特殊技術で描かれた猿シーザー以上に、かつて怪優として鳴らしたジョン・リスゴーが思いもかけず要介護のおじいちゃん役で現われた瞬間、僕らはいったい何を感じるだろうか。僕は思わず「わー!」とか「ひゃー!」とか声にならない感嘆をあげそうになった。そして次の瞬間、同じような状況を自分の祖母と共に日々繰り返していることに思い至った。これは彼らの物語ではなく、私の物語であり、あなたの物語でもある。

その部分を旧シリーズのような衝撃を持って突きつけるのではなく、ゆっくりと、観客と共に価値観を共有しあっていく目線の在り方が心優しく、とても受動しやすいのだ。

かつて未来世界の黙示録を描いた『猿の惑星』はいま、観客と同じ風景と日常を見つめている。それはこの混沌とした時代を、憎しみ合いではなく慈しみ合いで乗り越えていこうとする作り手の意識の現われのような気がする。

たとえ未来の結末がすでに(旧作によって)定められていようとも。

猿の惑星:創世記

公式ホームページ http://www.foxmovies.jp/saruwaku/
10月7日(金)TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー

(c) 2011 Twentieth Century Fox Film Corporation

【ライター】牛津厚信

猿の惑星:創世記

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2011年10月17日 by p-movie.com

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

なぜ彼は、世界最初のヒーローと呼ばれたのか―。

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

コミックスでは1941年に初登場を果たした、マーベルの中でも最古参ヒーローのひとり。この全身を星条旗であしらったかのようなコスチューム・デザインを一目見るや、なぜ彼がマーベル映画の世界戦略において最後の最後まで“出し渋り”されていたのか理解できるというものだ。

アメリカがまだある程度、世界のリーダーとしての余力を保っていた時代に彼がお目見えしたなら、それは世界中の反感を買ったことだろう。今だから許される。すっかり弱体化してしまったこの国に星条旗男の映画が産み落とされたとして、それはアメリカ万歳という発想には直結しない。むしろ生じるのは古き良き“ノスタルジー”。それを、あのロケットボーイズたちの挑戦劇『遠い空の向こうに』の名匠ジョー・ジョンストンが描くのだとするなら、そこで立ち現われてくるであろう“ほろ苦い空気”を観賞前の我々がイメージするのはそう難しいことではない。

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

主人公は小柄な体格で幾つもの持病もちの青年スティーヴ・ロジャース。1940年代、アンクル・サムが”I Want You!”と指をさして若者たちの戦意を高揚させていたころ、彼は幾度となく兵役検査に引っ掛かり入隊を断られていた。しかし彼ときたら、おそらくマーベル・コミックのヒーローたちの中でも1、2位を争うくらいに真っ直ぐな人間。映画の中でいくつも重ねられていく善人エピソードの数々。そうしていつの日か、彼にチャンスが訪れる。軍が進めるスーパーソルジャー計画の被験者となってもらいたいとスカウトされるのだ。二つ返事で承諾した吹けば飛ぶようなヒョロヒョロな彼は、装置に入って出てくるや筋骨隆々のたくましい男へと様変わりしていた。

時は満ちた。このとびきりのパワーを使って彼はナチス・ドイツ極秘計画の粉砕にいざ向かう!!

などと、すんなりとはいかないのだ。

ページをめくると彼はステージ上のヒーローとして全国行脚しながら観客に戦時国債の重要性をミュージカル調でアピールしている。今や彼はアンクル・サムと同じ位置に収まった。もちろんスーパーパワーは持ち腐れ。それは彼を深い葛藤へと追い込んでいく。

そしてある日、仲間の突撃部隊が敵陣で消息を絶ったとの情報を耳にしたとき、彼の中で固い決意が奮い立つ。ステージ上のキャプテン・アメリカは遂に現実のスーパーヒーローとなって、いま、最も危険なエリアへたった一人で突入劇を敢行しようとしていた―。

長い!ここまでが長い!ヒーロー映画というよりは、ひとりの男の苦悩を綴ったドラマがひたすら続く。しかしそれが駄作であるというわけでは毛頭ないのだ。むしろ、だからこそ面白い!ドラマ最高!ビバ!ノスタルジー!まるで『遠い空の向こうに』の青年たちが、ひとつのロケットを空高く打ち出すべく醸成していった人間ドラマのように、ここでもスティーヴ・ロジャースがヒーローとして起つまでをひたすら根気強く、丁寧に映像化していく。

とりわけジョンストン作品で幾度も描かれる“父子の関係”がここでもポイントとなる。そもそもロジャースには父親がいない。でもだからこそ、彼の長所を最初に見抜いた亡命博士(スタンリー・トゥッチ)との間に堅い絆が垣間見られる瞬間がある。

そして軍隊生活ではトミー・リー・ジョーンズ演じる気難しい大佐の背中にも武骨な父親像が見え隠れする。彼らの一方通行のやり取りがまるで分かりあえない父子のようでなんとユニークなことか。

彼らトゥッチとジョーンズのキャラがふたつ合体すると、理想的なロジャースの父親像ができあがってくるかのようだ。

また、もうひとつの鍵となるのが次回作(2012年夏公開)となるマーベル・ヒーロー大集合ムービー『アベンジャーズ』への布石である。『アイアンマン』、『マイティ・ソー』との結節点を多分に盛り込み、人物、アイテム、世界観などが密接に絡まり合っていく様を、息を呑んで見守ることになるだろう。

そして訪れるラスト、『アベンジャーズ』と時代背景を合わせるべく、キャプテンは現代へと降臨を果たす。その衝撃はしかと本編で確認していただくとして、そのクライマックスが本当に切ない。こんなんでヒーロー映画と呼べるのかってくらい切なすぎる。試写が終わって感想を口にする人たちからも幾度となく「せつねー!」という声が漏れ聞こえた。とくにロジャースの最後のセリフにホロッと泣かされてしまう。

この余韻に浸りながら、今日、もう何度目だろう、またもや『遠い空の向こうに』のキュンキュンくる感触のことを思い出していた。そして帰り路のあいだ中、今日は早く戻って、あの名作のDVDを蔵出し再見しようと心に決めていた。

僕の中で『キャプテン・アメリカ』はマーベル映画でありながら、やはりジョー・ジョンストン印の、何かが噴射して空高く上昇していく高揚と感動に満ちた映画なのだった。

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

公式ホームページ http://www.captain-america.jp/
10月14日(金)丸の内ルーブルほか全国超拡大3D公開

(C)2010 MVLFFLLC. TM &(C)2010 Marvel Entertainment, LLC and its subsidiaries. All rights reserved.

【ライター】牛津厚信

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

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カテゴリー: アメリカ | 映画レビュー

2011年10月17日 by p-movie.com