全員悪人
ここ数年、作り手としての生みの苦しみをそのまま体現するかのような異形の作品を手掛けてきた北野武。TVではあんなに人気者なのに、映画となると観客の好き嫌いがはっきりと分かれてしまう。
「おれの映画は客がはいんなくて困っちゃうんだ」
とはよく聞かれる彼の弁だが、さて、カンヌ映画祭でも賛否のまっぷたつに分かれた『アウトレイジ』は、彼にとって久々のヤクザもの。海外の映画サイトをチェックすると、”Yakuza”という言葉がそのまま使われ、「キタノがホームグラウンドに帰ってきた」的な紹介が大半を占めている。
冒頭、おびただしい数の黒塗り自動車&強面の男たちが横一線に並ぶ様が映しだされる。まるで兵士だ。守るべきもののためなら平気で命さえ差し出す兵士たち。そして彼らの代表選手でもあるかのように、この映画の複数のメイン俳優たちが横一線に揃い踏みする。はたして終幕のとき、この中の何人が生き残っているだろうか。。。
このバトル・ロワイヤルは、組織の上層部のひとことでゴングを鳴らす。
「お前のシマでヤツラになめられてるんじゃねえのか?」
「はあ、すみません・・・」
この案件への対応をめぐり、ヤクザ社会の下請けへと仕事が回ってくる。ひとことで言えば「手っ取り早くケンカをおっぱじめろ」ということなのだが、互いのメンツやプライドもあるので、相手の出方の裏の裏を読んで、自分の立ち位置を決めなければならない。なんともまどろっこしい不条理感が漂う中、事態はわらしべ長者的にどんどんスケールを増していく。しかもヤクザ社会の兵隊となると、犠牲も多い。笑っちゃうほど趣向を凝らしたバイオレンス描写の嵐。覚悟を決めて向かってくる者、逃げ出す者、最後まで平然と佇む者、ほくそ笑む人々。腕っぷしの強さや度胸などここでは何の役にも立たない。
北野作品としてなにか革命的なことに取り組んでいるわけでもない。どのシーンにもハイライトと言うべき感情のうねる場所はなく、しかし逆にいえば、どこのシーンでも均等に低温の火花が弾け飛び、落ち着き払った語り口が不気味でさえある。
おびただしい数のキャラクターの誰もがこの映画の部品として機能し、誰がメインを掻っさらうわけでもなく(ビートたけし自身も、本作ではひとつの部品にしか過ぎない)、この戦いで生き残る可能性は、まさに神のみぞ知る。その意味では「誰が生き残るか分からない」=「腹の中が読めない」キャスティングは注目に値する。こんなタヌキ俳優たちをよく集めたものだ。
また、そのときの状況により自在に変化していくと言われる北野組の撮影現場(「おれ、どんどん変えちゃうからさ」という発言をこれまで何度聞いただろう)において、これまた映画の中では一部品にしか過ぎない加瀬亮の存在感を監督自身が面白がり、いくつか出番が増えた、なんて話も伝え聞く。ガス・ヴァン・サントの新作にも出演する加瀬。本作では澱みのない英語を操る希少なインテリ極道を演じる。映画界で定着しつつあった彼のイメージをここまで豹変させられたのも、マイスター北野武との信頼関係あってのことだろう。
彼のみならず、『アウトレイジ』からは役者たちの身体から「北野組に参加できてうれしい!」という思いが滲み出ている。芸達者な彼らがまるで新人俳優のように競い合っている姿を堪能できるのも、今の邦画界では本作くらいではないだろうか。
「アウトレイジ」
2010年 日本
公式サイトアドレス
http://office-kitano.co.jp/outrage/main.html
6月12日全国ロードショー
【映画ライター】牛津厚信