消耗品軍団、出撃。
エクスペンダブルズ、つまり消耗品の話である。かつて80年代に第一線で活躍したハリウッド映画を代表する不死身のマッチョが、いまだに最前線でマッチョを続けている。生涯現役、というと聞こえはいいが、要は万年平社員と同じである。かつてシルヴェスタ―・スタローンとマッチョ度を競い合ったシュワルツェネッガーはとうに自分を消耗品でない地位にまで高めてしまった。実生活においても、この映画の中でも。
ストーリーは単純至極。スタローンの指揮するゴロつき傭兵部隊が南米の独裁政権に闘いを挑む。ただそれだけ。“ジェイソン・ボーン”シリーズがアクション映画の定義を根底から覆してしまった昨今、30年前のアクションを地で行く本作はまるで精霊たちの饗宴のようにさえ見える。殺戮の量も半端ではないし、火薬の量も常軌を逸している。あまりに現実離れした描写の数々をバカバカしいと放棄しそうになる。
だが、一方で80年代を生きた男子ならば遺伝子レベルでどこかにあのカタルシスを記憶しているはず。僕らの身体はいつしか理性をすっ飛ばして、勝手に饗宴への参加を表明している。
きっと僕らは『アリス・イン・ワンダーランド』の白ウサギならぬ、髑髏マークの轟音バイク軍団に導かれ、いつしかミッキー・ロークが営むバーに迷い込んでしまったのだろう。そこに漂うのは本作に登場するあらゆる武器にも増して強烈で危険な臭気を放つ“ノスタルジー”だ。これを鼻孔に感じてしまったら最後。大味な演技も、大げさなアクションも、洗練さとはかけ離れたジョークの類も、どれもツボにはまって、まるで自分自身があの頃の同窓会にでも参加しているような感慨にへと潜り込んでしまう。僕らはかつて、このノリ、この仲間たちが大好きだったんだ。そしてその同窓会には、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リーといった同ジャンルの後輩たちも見事に顔を揃えている。
『ロッキー・ザ・ファイナル』、『ランボー 最後の戦場』、そして『エクスペンダブルズ』・・・。
スタローンは自分たち“大味なアクション俳優”がもはや絶滅危惧種であることを知っている。それに自分がシュワちゃんのごとく政治家になるにはあまりに滑舌が悪すぎることも知っている。
でもだからこそ背水の陣を利用して彼は史上最も泥臭い闘いを挑む。そして敵に対にも、観客に対しても見事なまでに耐久戦の勝利を収めてみせる。いや、何よりも、かつてアメリカ合衆国を象徴したはずのそのマッチョな身体を、いまこの時代における悲壮感のカタマリとして世界に提示できるクレバーさ。これこそが彼の最大最強の武器と言えよう。
フィクションであれリアルであれ、フィクサー的に世界を動かすのがシュワちゃんだとすれば、スタローンはいち早く現場へ乗り込んで肉弾戦をおっぱじめる実行部隊だ。しかしこれらのバランス感覚、計算高さからすると、現場主義のスタローンの方がよっぽど頭が切れる。そんな気がするのだ。
率先して泥にまみれる男こそ、本当は最もフィクサーと呼ぶにふさわしき人物なのかもしれない。少なくともこの映画いおいては。
http://www.expendables.jp/
10月16日(土)より丸の内ピカデリー1ほか全国にて公開
(C) 2010 ALTA VISTA PRODUCTIONS, INC
【ライター】牛津厚信