猿の惑星:創世記

これは人類への警鐘

猿の惑星:創世記

各メディアで「泣ける!」「大感動!」との文字があまりに踊っているので、拙レビューではこの二言を禁じてお届けしたい。が、それにしても本作について述べるとなれば、大方の文章はどれも似た書き出しとなるのだろう。

それは「誰もがこの最新作のヒットを予想だにしていなかった」ということだ。

告白しておくと、僕自身の中にも前々から予告や宣伝を見るたびに嘲笑にも似た感情が芽生えていた。また、BBCが伝えていたルパート・ワイアット監督への取材によると、今回の世界的な高評価に誰よりも彼自身が驚きを隠せないのだそうだ。いまだに戸惑いを引きずった彼は、ヒットの要因として「VFX技術をディテールに注いだこと」を挙げている。

それはつまり、ビッグバジェット映画にありがちな大規模カタルシス場面に技術を投入するのではなく、むしろ観客の体内に自然な形で入り込んでいくような場面にこそ手の込んだ作業を施しているということだ。

猿の惑星:創世記

たとえば我々は映画の中盤までくると、あのシーザーをはじめとする猿たちをひとつの個性、ひとつのキャラクターとして認識し、彼らの身体に流れる血潮や感情の起伏を一挙手一投足から読みとっている。これは『アバター』のモーションキャプチャー技術を応用して人間の俳優の顔面の動きまでをも猿の造型に投影したもの。かつてこれほど人間以外の外見をした生き物の感情に寄り添った映画体験があっただろうかと、映画が終わってから徐々に驚きが込み上げてくる。

また、今回の着眼点が我々の暮らしに、または現代社会の要素に深く通低していることも評価の要因だ。

そもそも旧『猿の惑星』シリーズは、アメリカが公民権運動やベトナム戦争に揺れていた時代、当時の観客の意識を“虐げる者”から“虐げられる者”へと転換するのに画期的な役割を果たし、結果的に啓蒙を含んだエンタテインメントとして時代と密接に結びついていった。では今回の新作ではどうなのか。再びこの現代において「権利擁護」を掲げようと言うのだろうか?

いや、そうではない。本作では事の発端となる「アルツハイマーの特効薬」を糸口に、“老いていく生命“と“育ちゆく生命”とのベクトルの交錯点を身を切るほどの切なさで描ききっているのだ。

あの特殊技術で描かれた猿シーザー以上に、かつて怪優として鳴らしたジョン・リスゴーが思いもかけず要介護のおじいちゃん役で現われた瞬間、僕らはいったい何を感じるだろうか。僕は思わず「わー!」とか「ひゃー!」とか声にならない感嘆をあげそうになった。そして次の瞬間、同じような状況を自分の祖母と共に日々繰り返していることに思い至った。これは彼らの物語ではなく、私の物語であり、あなたの物語でもある。

その部分を旧シリーズのような衝撃を持って突きつけるのではなく、ゆっくりと、観客と共に価値観を共有しあっていく目線の在り方が心優しく、とても受動しやすいのだ。

かつて未来世界の黙示録を描いた『猿の惑星』はいま、観客と同じ風景と日常を見つめている。それはこの混沌とした時代を、憎しみ合いではなく慈しみ合いで乗り越えていこうとする作り手の意識の現われのような気がする。

たとえ未来の結末がすでに(旧作によって)定められていようとも。

猿の惑星:創世記

公式ホームページ http://www.foxmovies.jp/saruwaku/
10月7日(金)TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー

(c) 2011 Twentieth Century Fox Film Corporation

【ライター】牛津厚信

猿の惑星:創世記


カテゴリー: アメリカ | 映画レビュー

2011年10月17日 by p-movie.com